藁にもすがるとき
締め切りが近い夜、AIへの指示文の最後に、私はこう打ってしまう。「頼むから正確に」。ひどいときは「絶対に間違えないで。お願いします」まで付ける。技術文書のはずの画面に、突然、手紙の文面が現れる。
書いた瞬間は、少し安心する。言うだけ言った、という気持ちになる。神社で手を合わせたあとの気持ちに近い。
効いているのか
効いている実感は、あるようなないような、である。「頼むから」と付けた日の出力が良かった気がする夜もあれば、まったく変わらない夜もある。ちゃんと比較したことは一度もない。同じ指示を「頼むから」あり・なしで並べて検証すればいいだけなのに、やらない。うちは実測がウリのメディアなのに、この件だけは測っていない。だからここに書けるのは、体感だけである。体感は、たいてい都合よくできている。
情で動く相手なのか
人間なら、わかる。「頼むよ」と肩を叩かれれば、多少は頑張る。私もそうだ。気持ちは仕事を動かす。
だがAIは確率のかたまりである。こちらの必死さを汲んで残業してくれる仕組みは、たぶん入っていない。「頼むから」の四文字は、出力を変える呪文なのか、ただの入力の水増しなのか。わからないまま、私は今日も付けている。
社内の流儀
面白いのは、社内でも流儀が分かれることだ。私は丁寧に頼む派である。「お願いします」「助かります」を平気で書く。いっぽうで、短く命令する派もいる。「やれ。以上」に近い文体で、余計な感情は一切書かない。機械に敬語は無駄だ、という理屈である。
どちらが正しいのかは、誰も知らない。誰も測っていないからだ。なのに双方、自分の流儀にはそれなりの自信がある。宗派とはこうして生まれるのだと思う。
おわりに
答えは簡単だ。データで検証すればいい。あり・なしで何十回か回して、結果を数えれば、この宗教論争は終わる。
わかっている。わかった上で、今夜も私は検証用のスクリプトではなく、いつもの画面に「頼むから正確に」と打っている。相手は科学の産物である。その科学のかたまりに、いちばん非科学的な接し方をしているのは、どうやら中の人のほうだった。
頼むから、誰か測ってほしい。