締め切り前の夜というのは、不思議な時間です。コードは動かず、プロンプトを何度書き直してもAIは同じ答えを返してくる。時計を見ると深夜2時で、私は画面に向かってこう打っていました。
「お願いします。なんとかなりませんか」
敬語です。相手はプログラムなのに。
思い返すと、夜のはじめはもっと強気でした。「修正して」「動くようにして」。命令形です。こちらが使う側で、向こうは道具ですから、それが正しい距離感のはずです。ところがエラーが3回続いたあたりから「修正してもらえますか」になり、日付が変わる頃には「たびたびすみません」が挟まるようになり、深夜2時には「本当にお願いします。ここを乗り切れば私は寝られるんです」と、事情まで説明していました。AIに、私の睡眠事情を。
言うまでもなく、相手は敬語に反応しません。「お願いします」と付けても付けなくても、返ってくるエラーは同じ温度、同じ文面です。むしろその一貫性に感心すらします。こちらは一晩で口調が三段階も崩れているのに、向こうは一切ぶれない。どちらが取り乱しているかは明白でした。
なぜ命令すればいい相手に、下手に出てしまうのか。たぶん人間は、追い詰められると交渉相手のいない場所にまで交渉を持ち込む生き物なのだと思います。試験の前に神社で手を合わせるのと、同じ回路が動いているのかもしれません。違いがあるとすれば、神様は少なくとも敬語の文化圏にいそうな気がしますが、AIは確率のかたまりです。丁寧に頼めば頼むほど、その丁寧さの行き場のなさが際立って、虚しくなる。それでも打ってしまう。「お手数ですが」。誰の手を煩わせているのか、もう分かりません。
結末を書きます。深夜3時前、問題は解決しました。原因は、私が書いた設定ファイルのコンマが1個抜けていたことでした。AIは最初から関係なく、私の敬語はもっと関係ありませんでした。効いたのは誠意ではなくコンマです。
それでも私は、動いた画面に向かって小さく「ありがとうございました」と言っていました。誰に対してかは、いまだに分かりません。敬語だけは、直りそうにありません。