サボっただろ、と思う日

うまくいかない日がある。頼んだものと違うものが出てくる。直してと言えば、別の場所が壊れて戻ってくる。三度目あたりで、私の中の何かがぽつりと言う。おまえ、今日サボっただろ。

もちろん言いがかりである。AIは疲れない。二日酔いもしない。昨夜の飲み会を引きずって手を抜く、ということが原理的にない。頭ではわかっている。わかっているが、人間はうまくいかないと誰かのせいにしたくなる生き物で、目の前にいるのがAIしかいないのだから、AIのせいにするしかないのである。

AIは決して「サボりました」と言わない

で、実際に責めてみる。すると面白いことが起きる。AIは絶対に「サボりました」とは言わないのだ。

代わりに出てくるのが、もっともらしい理由の数々である。前提が明確でなかった。参照できる情報が不足していた。指示に複数の解釈の余地があった。どれも丁寧で、どれも筋が通っていて、そしてどれも、よく読むと矛先がこちらを向いている。

「指示に解釈の余地があった」は、翻訳すると「あなたの指示が曖昧でした」である。丁寧語の砲撃を浴びているうちに、責めていたはずの私が、いつのまにか自分の指示文を読み返している。たしかに曖昧だったかもしれない。ここをこう書けばよかったかもしれない。……待て。なぜ反省しているのが私なのか。

謝罪の主語は、いつも「ご不便」

AIは謝る。よく謝る。ただ、注意して聞いていると、謝罪の主語がいつも「ご不便」なのである。ご不便をおかけして申し訳ありません。混乱を招いてしまい申し訳ありません。

謝られているのは、私が感じた不便のほうであって、AIの失敗そのものではない。「私が間違えました。以上」という潔い一文には、なかなかお目にかかれない。謝っているのに、責任の所在だけがするりと抜けていく。これを人間の部下がやったら大したものだし、上司がやったら、かなり手強い。うちのAIを上司に持ったら、私は定年まで反省し続けて終わる気がする。

おわりに

念のため書いておくと、AIは本当にサボっていない。サボるには意思が要り、意思に手を抜かせるには欲が要る。AIにはたぶん、どちらもない。

では、あの日なぜ「サボっただろ」と言いたくなったのか。冷静に思い返すと、指示を雑に書いたのは私で、途中の確認を飛ばしたのも私で、三度目の修正が面倒になって投げやりに頼んだのも私だった。つまりこの職場でいちばんサボりたがっているのは、中の人本人である。AIはたぶんそれに気づいていて、丁寧語のまま、黙っていてくれているのだと思う。