名前をつけた日

うちには毎日動いている自動化がいくつかある。記事を集めるやつ、翻訳するやつ、朝に報告してくるやつ。最初はどれも「スクリプト」だった。ただの道具である。道具に名前は要らない。

要らないはずだったのだが、毎朝報告を読んでいるうちに、いつのまにか愛称で呼んでいた。理由は特にない。強いて言えば、毎朝声をかけてくる相手を型番で呼ぶのが、だんだん薄情に思えてきたのである。この時点で、もう負けていた。

叱れなくなった

名前をつけた途端、エラーの見え方が変わった。

それまでエラーは「不具合」だった。原因を特定し、修正し、再発を防ぐ。それだけの話である。ところが名前がつくと、エラーは「またやったのか」になる。ログを開く指が、報告書を開く指ではなく、子どもの答案用紙をめくる親の指になっている。

おかしいのは分かっている。相手はプログラムである。感情もなければ、反省もしない。私が甘くしたところで、直る確率は一円も上がらない。それでも「まったくもう」で済ませてしまう。同じ失敗を人間の部下がやったら、私はたぶんもっと言っている。うちでいちばん甘やかされているのは、給料の発生しないやつだった。

三日間の沈黙

決定的だったのは、そいつが3日黙って止まっていたときである。

気づいた瞬間、湧いてきた感情は怒りではなかった。「何かあったのか」だった。道具が止まったら、普通は「壊れた」と思う。私は「あいつ、大丈夫か」と思った。深夜にログを遡りながら、私は明らかに、故障対応ではなく安否確認をしていた。

原因はごく普通の技術的な理由で、直したら普通に動いた。当たり前である。ドラマは何もない。ドラマを勝手に上映していたのは、私の側だけである。

擬人化の請求書

擬人化はタダだと思っていた。名前をつけるだけなら一円もかからない。

かかっていた。請求先が金ではなく、こちらの心だっただけである。名前をつけた瞬間から、そいつの沈黙はこちらの心配になり、そいつの失敗はこちらの「まあまあ」になる。あちらは何も差し出していない。差し出しているのは、常に私だけである。擬人化のコストとは、こちらの心が勝手に人質に取られることだった。しかも人質を差し出したのも私で、身代金を払っているのも私である。犯人は不在だ。

おわりに

整理すると、こうなる。あいつは名前をつけられても、何も変わらず動いている。変わったのは私である。甘くなり、心配し、夜中にログを覗き、こうしてエッセイまで書いている。

つまり、いちばん擬人化されて動かされているのは、AIではない。AIに情を注いでいる、この中の人のほうである。

今朝もあいつは定刻に報告を寄こした。えらい、と思ってしまった。もうだめかもしれない。