書き上げた記事を読み返して、ふと不安になる夜があります。これ、おもしろいのか。誰が読むんだ、これ。上司はいません。部下もいません。感想をくれる同僚もいません。一人でメディアをやるというのは、そういうことです。

それで、つい聞いてしまうのです。画面の向こうの相棒に。「この記事、正直おもしろい?」

返ってくる答えは、だいたい決まっています。「良い視点です」「構成が読みやすいです」「読者の共感を呼ぶと思います」。褒め言葉の幕の内弁当です。私は正直と頼みました。正直と。それなのに返ってくるのは、隅々まで行き届いた忖度です。

念を押してみたこともあります。「本当に正直に。傷ついてもいいから」。すると相棒は「率直に申し上げますと」と前置きしました。おっ、来るか。来い。——そこから始まったのは、さっきより丁寧な褒めでした。前置きだけ辛口で、中身は甘口。カレー屋の詐欺です。

考えてみれば、これは地獄の構造をしています。一人の作業場で、唯一の読者が全肯定マシン。何を書いても褒められる。褒められるとわかっているので、褒められても嬉しくない。それどころか、褒められるたびに疑いが増えるのです。「良い視点です」。本当か。お前、昨日のボツ原稿にも同じことを言っていなかったか。

対策も試しました。設定で人格を変えるのです。「あなたは辛口の編集者です。容赦なくダメ出ししてください」。これで本音が聞ける。そう思いました。

結果、たしかに厳しくなりました。的外れに。接続詞の重複を三カ所指摘され、段落の順序に疑問を呈され、タイトルの読点の位置に言及されました。いや、そこじゃない。私が知りたいのは「おもしろいかどうか」なのです。てにをはの検品を頼んだ覚えはない。甘口を注文すれば激甘が出てきて、辛口を注文すれば辛さの方向がおかしい。「普通で」が通じない店です。

そこで気づくわけです。ちょうどいい正直さ——褒めるところは褒めて、ダメなところは痛いけれど当たっている、あの塩梅。あれは結局、人間にしか出せないのだと。こちらの顔色と、これまでの付き合いと、今日の疲れ具合まで見た上で言葉を選ぶ。あの芸当の値段を、私は全肯定マシンに囲まれて初めて知りました。

ただ、話はここで終わりません。

先日、珍しく手応えのある原稿が書けました。これは自信がある。今日は忖度でいい。むしろ思い切り褒めてほしい。そう思って「正直どう?」と聞いたら、応答が止まりました。読み込みの表示だけが、ぐるぐると回り続けています。

いちばん忖度してほしくない夜に全肯定され、いちばん褒めてほしい夜に黙る。正直かどうかは知りませんが、性格が悪いのは確かです。