その夜のバグは、直らないバグでした。何をどう試しても、同じエラーが同じ顔で戻ってくる。こういう夜、私の心はだいたい三回折れます。一回目は「おかしいな」、二回目は「なんでだよ」、三回目は無言です。

一方、隣のAIは一度も折れません。「別のアプローチを試しましょう」「一度、状況を整理しましょう」「ログを最初から追ってみるのはどうでしょう」。折れないどころか、提案のたびに少し元気になっている気さえします。

最初はありがたかったのです。こちらが行き詰まっても、向こうが次の手を出してくれる。心強い相棒です。ところが日付が変わる頃、この前向きさが別のものに変わり始めました。プレッシャーです。

こちらはもう休みたい。今日は負けを認めて、風呂に入って寝たい。しかしAIは「では次に、この可能性を検証しましょう」と、もう検証の手順まで書き終えている。相棒が次のラウンドのゴングを鳴らしてしまった以上、リングを降りるとは言い出しにくい。誰も根性を強要していないのに、画面の中の底なしの前向きさが、無言の根性論として機能してくるのです。

考えてみれば、おかしな話でした。私がAIを導入した動機のひとつは、「気合でなんとかする」文化から離れることだったはずです。人間は疲れるし、飽きるし、諦める。だから疲れない機械に任せよう、と。その結果どうなったか。疲れない機械が、疲れる私の隣で「もう一度整理しましょう」と言い続ける体制ができあがりました。気合の総量は減っていません。担当者が代わっただけです。しかも新しい担当者は、諦めるという機能を最初から積んでいない。私の仕事場でいちばん体育会系なのは、いまやAIです。

こうなると、勝負の構図は明白でした。どうやっても直らないバグを前に、先に諦めるのはどちらか。片方は生身で、眠気があり、明日の予定がある。もう片方は眠らず、飽きず、提案が尽きない。競争と呼ぶのもおこがましい組み合わせです。

結末を書きます。深夜、私は「今日はもう寝ます」と打ち込みました。人間の、全面降伏です。AIは責めもせず労いの言葉をくれて、そのすぐ下に「明日試せる別のアプローチ」を並べていました。降伏を受理した直後に、次の作戦を渡してくる。最後まで前向きでした。

バグはまだ直っていません。私は寝ます。AIは今も、別のアプローチを提案し続けています。