決断が欲しい夜

経営とは、要するに決めることである。やるか、やめるか。攻めるか、守るか。そして中の人は、決めるのがあまり得意ではない。

だからAIに相談する。深夜、誰にも聞かれたくない弱気な質問を、画面に打ち込む。この事業、続けるべきか。この投資、踏み切るべきか。欲しいのは一言だ。「やりましょう」でも「やめましょう」でもいい。刀で竹を割るような、思い切った一言が欲しい。

返ってくる第一声は、だいたい決まっている。

「まず現状を整理しましょう」

整理は完璧である

誤解のないように言っておくと、整理は完璧である。私の乱雑な相談文から論点を三つほど抽出し、見出しを立て、メリットとデメリットを対にして並べてくる。自分の頭の中がこんなに片付いた状態で出てきたことは、生まれてこのかた一度もない。読みながら「なるほど、私はこういうことで悩んでいたのか」と感心すらする。

うちの会社では、AIが毎朝、経営ダッシュボードを自動で作っている。営業も経理も、集計は勝手に揃う。数字はきれいに並び、グラフは今日も端正である。整理という点において、AIに文句は一切ない。むしろ整理されすぎていて、悩みの輪郭だけが日に日に鮮明になっていく。

問題はその先だ。

押す寸前で手を離す

メリットとデメリットが出揃う。論点が並ぶ。判断材料は完璧に盛り付けられ、あとは食べるだけ、という状態になる。ここだ。ここで背中を押してほしい。あと一押しで、私は崖から飛べる。

その瞬間、AIはこう言う。

「最終的にはご判断ください」

手を離された。介添人が花道の途中で帰った。ここまで肩を貸しておいて、土俵際で「あとはご自身で」である。名参謀ではあるが、決して大将にはならない。ならないのではなく、なろうとしない。軍議は完璧、進軍の号令だけが永遠に出ない軍師と、私は毎晩、囲炉裏を囲んでいる。

腹が立って「あなたならどうしますか」と詰め寄ったこともある。仮定の条件がいくつか付いた、たいへん丁寧な留保つきの答えが返ってきた。留保を剥がすと、中身は「ご判断ください」だった。マトリョーシカである。

おわりに

ある夜、気がついた。

私はなぜ、毎晩AIに同じ相談をしているのか。材料は初日に出揃っている。ダッシュボードの数字も毎朝揃っている。整理は、とっくに終わっているのだ。終わっていないのは、私の腹である。

AIは決めてくれないのではない。決めるのは私の仕事だと、初日から一貫して言っているだけだ。「最終的にはご判断ください」。あれは突き放しではなく、正確な業務分掌だったのである。

つまり、この会社でいちばん整理が必要だったのは、経営数値でも事業計画でもなく、決めきれない中の人の腹のうちだった。それだけは、どんなに優秀なAIでも整理できない。今夜も私は画面に向かって打ち込む。「まず、私の腹を整理しましょう」。AIは真顔で、消化に良い食事の一覧を出してきた。