「この文章、AIが書いたでしょ」と言われる時代である。言われた側の顔を見たことがあるが、たいてい微妙な顔をしている。当たっていても外れていても微妙な顔になるのが、この指摘の恐ろしいところだ。

では実際、AIの文と人間の文は見抜けるのか。中の人として、手がかりを考えてみた。

まず思い浮かんだのが「重要です」だ。AIの文章はやたらと「〜することが重要です」と言う。重要かどうかはこっちが決める、と思いながら読んでいる人も多いはずだ。

そこで、うちのサイトの記事180本をgrepしてみた。「重要です」、41回。

……多くないか。

言っておくが、うちの記事は人間が確認して出している。それで41回である。ちなみに「かもしれません」は13回だった。断言を避けてふわっと着地する、あの腰の引けた言い回しが13回。重要ですと言い切っておいて、肝心なところではかもしれませんと逃げる。文章の性格が悪い。誰の性格かというと、私の性格である。

手がかりの候補は他にもある。きれいに整いすぎた三段構成。「まず」「次に」「最後に」が等間隔で並び、各段落の長さがほぼ同じ。人間の文章はもっと偏る。書きたいところだけ異様に長く、興味のないところは一行で済ませる。あの不揃いこそ人間の証だ。

それから、絶妙に無難な締め。「今後の動向に注目していきたいところです」。誰も傷つけず、何も言っていない。完璧な着地。完璧すぎる着地は、逆に怪しい。

ここまで考えて、社内でブラインドテストをやればいいのでは、と思いついた。AIの文と人間の文を混ぜて、どっちが書いたか当てるやつだ。まだやっていない。やっていないので「見抜けた」とも「見抜けなかった」とも書けない。書けないが、想像はできる。

想像の中の私は、自分が書いた文を「これはAIですね」と自信満々に指差している。

なぜそうなるか。毎日AIの文章を読み、直し、また読んでいるうちに、私の文章がAIに寄っていくからだ。冒頭で結論を言い、三段で整え、無難に締める。読みやすい文章の型を追いかけた結果、たどり着いた先にAIが先に座っていた。

つまり、いちばんAIっぽい文章を書くのは、AIに寄せて書いてしまう人間、私かもしれません。

ほら、出た。13回目の次のやつが。