結論から書きます。学習データは「悪いものを捨てる」より「中身を正確に説明したラベルを付ける」ほうが効く、というのがPhotoroomの選択でした。保存形式もJPEG品質92で1回再エンコード時PSNR48.7dBと実測してから決めています。この2点は、自社でモデルを学習しない企業にもそのまま転用できます。
何が公開されたのか(一次資料の実測)
画像編集サービスを提供するPhotoroomが、自社の画像生成モデル「PRX」の学習データ戦略を解説した記事を公開しました。データの収集、キャプション(説明文)の付与、保存形式、そしてデータベースの分割方法まで、実際に測った数字と失敗を含めて書かれています。
最初に押さえるべき前提があります。この記事はPhotoroom自身による発表であり、同社は当該製品であるPRXモデルの開発・提供者です。つまり自社の技術選択を正当化しうる立場の当事者が、自ら測って自ら公開した数字です。加えて著者自身が「構築できる絶対的に最良のデータセットではなく、堅実で軽量な出発点にすぎない」と明言しています。ベストプラクティスとして受け取るのではなく、一社の判断記録として読むのが妥当です。
(出典:Photoroom(記事中に Roman Frigg、David Bertoin、Jon Almazán ら Photoroom チームの署名。Hugging Face 上の Photoroom 組織アカウントによる投稿)、2026-07-06、https://huggingface.co/blog/Photoroom/prx-part4-data)
保存形式の劣化を実測してから決めている
学習用の大量の画像をどの形式で保存するか。ロスレスのPNGは劣化しない代わりに容量を食います。Photoroomはロスレスにこだわらず、JPEG品質92を選びました。その根拠として、PNGとの比較で以下の劣化度(PSNR、数値が大きいほど劣化が小さい)を示しています。
| 対象画像の解像度 | 再エンコード1回 | 再エンコード10回 |
|---|---|---|
| 高解像度(1〜2メガピクセル) | PSNR 48.7dB | PSNR 45.4dB |
| 低解像度(0.25〜0.5メガピクセル) | PSNR 45.1dB | PSNR 42.2dB |
保存する解像度は512px/1024px/2048px/4096pxの4段階で持ち、最小有効サイズは384²(約147k画素)かつアスペクト比0.5〜2.0を下限条件としています。学習時のアスペクト比バケッティングは解像度帯ごとに13バケット、トークン予算は一定の約256パッチ。512px帯では352×704〜704×352の範囲で、1024px帯はこれを比例拡大した設計です。
「捨てる」より「説明する」を選んだ
フィルタリングで除外した割合は、重複除去が数パーセント程度、キャプションに基づくテキストフィルタでさらに数パーセント、NSFW除去は1%未満のごく一部にとどまります。ただしこれらは本文でも「on the order of a few percent」といった概算表現であり、母数となる総画像数は記載されていません。除去率の絶対値を他社と比べる用途には使えない数字です。
厳しく絞り込む代わりに力を入れたのが、画像の中身を正確に記述したキャプションの付与でした。品質の低い画像を除くのではなく、それが何であるかを説明して学習側に判断させる、という設計です。
指標で劣るモデルを、速度を理由に採用した
キャプション生成に使うモデルの選定では、2種類を比較しています。学習10万ステップ時点での生成画質指標は次のとおりです。
| キャプション生成モデル | FID | CMMD | DINO-MMD | スループット(H200 GPU 1枚あたり) |
|---|---|---|---|---|
| Qwen3.5-9B | 10.51 | 0.278 | 0.162 | 約6.5 img/s |
| Qwen3-VL-8B | 10.98 | 0.351 | 0.182 | 20 img/s |
FID・CMMD・DINO-MMDはいずれも数値が小さいほど良い指標です。表のとおり、3指標すべてでQwen3.5-9Bが上回っています。それでもPhotoroomが採用したのはQwen3-VL-8Bのほうでした。理由として約3倍のスループット差と、依存関係の安定性を挙げています。指標で劣るモデルを運用上の都合で選んだ、という妥協を明示的に書いている点が、この記事の誠実な部分です。
なお著者は、時間とリソースの制約により、キャプション生成モデルの比較検証(アブレーション)を十分に行えなかったとも認めています。上の数値も、網羅的な検証の結果ではありません。
キャプションのテキスト分類には、Qwen3-8Bをテキスト専用モードで使い、GPU1枚あたり約200件/秒で処理しています。また、テキストの潜在表現を事前計算せず学習中に都度計算した場合、スループットが約3〜4%低下し、これは30日間の学習実行に対して約1日分の増加に相当する、と本文は換算しています。
分割設定を誤って検索性能を落とした失敗
データの保存にはLanceを使っています。ここでPhotoroomは失敗を経験しました。当初1フラグメントあたり10万行に細分化したところ、単純なフィルタや全文検索が極端に遅くなったのです。最終的に1フラグメントあたり約100万行(全体で数億行に対し約1,000フラグメント)に落ち着いています。
分割を細かくすれば速くなるという直感が裏切られた、という記録です。
読者への意味:うちに関係あるのか
正直に書きます。自社で画像生成モデルを学習する中小企業はほぼありません。この記事の内容がそのまま業務に降りてくることは、ほとんどないでしょう。関係の度合いは中程度です。
ただし、モデル学習という文脈を外すと、転用できる原則が3つあります。
- 資料を捨てるより、説明・メタ情報を足す。社内文書をAIに使わせる場面(検索やRAG)でも構図は同じです。古い資料や雑多なファイルを削って母集団をきれいにするより、その文書が何なのか・いつのものか・どの案件かを説明する情報を付けるほうが、検索の当たり方は改善します。関連する考え方は小さなモデルでも社内文書検索は成立するのかでも扱っています。
- 保存形式は測ってから決める。JPEG品質92で48.7dBという実測を取ってから採用した手順は、社内データの圧縮・保管方針を決めるときの型になります。スキャン書類の解像度、画像の圧縮率、動画のビットレート。「劣化するから触らない」でも「安いから最低画質」でもなく、自社の用途で1回測る、が正解に近いはずです。
- 最新最高より、運用が回るほうを取る。指標で劣るが約3倍速く依存関係の安定したモデルを選んだ判断は、中小企業のツール選定基準そのものです。ベンチマーク上位のツールが、社内の人員と回線とスキルで回るとは限りません。この観点はAIツールの選び方でも整理しています。
TOEの読み筋
先に書いておきます。TOEでは画像生成モデルの自前学習は未実施です。PRXの検証も、Lanceの分割設定の再現も行っていません。ここから先は、公開された数字を読んだうえでの解釈です。
私たちが注目したのは3番目の妥協です。3指標すべてで劣るモデルを、速度と依存関係の安定性を理由に採用した。これは技術者にとって書きにくい判断のはずですが、実際の現場では最も頻繁に起きる意思決定でもあります。中小企業のAI導入で失敗が起きるとき、原因が「性能が足りなかった」であることは意外に少なく、「動かし続けられなかった」であることのほうが多い、というのが現時点での感触です。ただしこれはTOEの案件経験に基づく印象であり、件数を伴う集計として提示できるものではありません。
もう一点、フィルタリング数値が概算表現にとどまり、母数が示されていないことは、この記事の弱いところです。「数パーセントしか除外していない」は、母数が1億枚か100万枚かで意味がまったく変わります。自社でデータ整備の方針を決める際に、この記事の除去率をそのまま参照するのは避けるべきです。
社内文書の整備で同じ考え方を使うなら、まず「捨てる会議」を開くのをやめて、フォルダ名と文書冒頭に説明を1行足すところから始めるのが低コストです。効果測定の考え方はAI検索の効果をどう測るかを参照してください。
まとめ
- Photoroomが自社の画像生成モデルPRXの学習データ構築を公開した。同社は当該製品の提供者であり、自社の技術選択を説明する立場の情報である
- 保存形式はJPEG品質92を採用。PNGとの比較で高解像度(1〜2メガピクセル)は再エンコード1回で PSNR 48.7dB、10回で45.4dBという実測を根拠にしている
- キャプション生成モデルは、FID・CMMD・DINO-MMDの3指標すべてで劣るQwen3-VL-8B(20 img/s)を、約3倍の速度差と依存関係の安定性を理由に採用。著者はこれを妥協と明記し、比較検証が十分でなかったことも認めている
- Lanceの分割を1フラグメント10万行に細かくしすぎて検索が極端に遅くなり、約100万行に修正した失敗も記載されている。フィルタの除去率は概算表現で母数の記載がない
- 中小企業への転用は3点。捨てるより説明を足す/保存形式は測ってから決める/最新最高より運用が回るほうを取る。TOEではPRXの検証および画像生成モデルの自前学習を未実施である