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AIで誰もが作れる時代に、技術者倫理は誰のものか

AIで誰もが作れる時代に、技術者倫理は誰のものか(画像: Zenn AI)
画像: Zenn AI(配信元より)

AIが優秀になると、プログラミングの敷居はぐんと下がる。これまで専門家しかできなかったことが、今はAIに聞きながら個人でも形にできるようになった。アイデアさえあれば、自分の手で試せる時代が来た。個人開発の速度は上がり、専門外の人でも技術を使って問題解決に参加できるようになった。それはたしかに素晴らしいことだ。だがここに落とし穴がある。「作れるようになった」ことと「作ったものが社会に与える影響を判断できた」ことは全く別ものだからだ。

中小企業の経営陣を見ていると、この二つの混同に陥っている例が多い。「うちでもシステム内製化できるな」と気づいて、エンジニアを雇わず営業や企画の人間にAIで作らせ始める。確かに短期的には作ったものが動く。だが、そこにデータ漏洩のリスク、個人情報の不適切な取り扱い、競業避止義務違反といった法的地雷が埋まっていても気づかない。Winny事件は「技術は作った、社会的な責任は見えなかった」という典型例だが、今起きているのはそれの小さなバージョンが毎日各地で積み重なることだ。デジタル化の名の下に、リスク評価抜きのシステムが社内に増殖している。

ここが本当に重要なのは、AIが能力を民主化する一方で、責任までは民主化しないということだ。誰でも作れるようになったからこそ、「俺たちは何を守るべきか」を考える人の層が必要になる。倫理を語る人を採用するか、社内で学ぶか、あるいは外部コンサルに依存するか。後付けの対応では間に合わない。AIの民主化の次に来るのは、責任感の民主化である。それが無ければ、気づかぬうちに企業全体がリスクを抱え込むことになる。

※ 上記は配信元記事をもとにAIの鬼編集部が要約・再構成したものです。正確な内容は出典元をご確認ください。

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