問い合わせ対応は人手不足が直撃しやすい業務
電話やメールで同じような質問が何度も届き、担当者がそのたびに同じ説明を繰り返す。問い合わせ対応は、人手が足りなくなるとまず負荷が表に出やすい業務のひとつです。近年はAIチャットボット(自動でテキストのやり取りに応答する仕組み)やFAQサービスを使って、この一次対応をAIに任せる企業が増えています。ここでは実際に公表されている数字をもとに、何が変わり、何が変わらなかったのかを見ていきます。
労務問い合わせの負荷を75%削減したクスリのアオキ
ドラッグストアを展開する株式会社クスリのアオキは、パナソニック ソリューションテクノロジーが提供するAIチャットボット/FAQサービス「WisTalk(ウィズトーク)」を2020年4月から導入しました(出典:IT Leaders「クスリのアオキ、問い合わせ対応をAIチャットボット『WisTalk』で自動化、対応業務負荷を4分の1に」https://it.impress.co.jp/articles/-/23043)。
同社は全国に店舗を展開し、約1万5000人の従業員を抱えていますが、給与・勤怠・人事・福利厚生・年末調整といった労務関連の問い合わせが電話とメールに集中し、「土日に連絡が取れない」「メールでの返信が遅い」といった従業員からの不満が課題になっていました。WisTalk導入時には約300件のQ&Aデータを登録してスタートし、運用開始から1年間で22,000件以上の問い合わせに対応、正答率は75%と報告されています。労務課の業務負荷は約75%(4分の1に)削減され、削減時間は年間約3,500時間にのぼるとされています。同社がWisTalkを選んだ理由として、サポート体制の充実に加えて、自社でAIエンジンの回答精度を定期的にチューニングできる点が挙げられています。
社内ヘルプデスクでも件数削減が報告されている
社内の他部門からの問い合わせ対応でも、同様の事例が公表されています。RICOH Chatbot Serviceの導入事例紹介ページでは、鉄道事業を展開する企業が情報システム部のヘルプデスク業務の効率化を目的にチャットボットを導入し、導入からわずか3ヶ月でヘルプデスク業務を約30%効率化したほか、従来は丸1日・8時間程度を要していたメンテナンス作業が導入後は1時間で完了するようになったと紹介されています(出典:RICOH Chatbot Service「チャットボットで社内問い合わせを30%削減した成功事例の紹介」https://promo.digital.ricoh.com/chatbot/column/detail24/)。なお、これはサービス提供元であるリコーが自社サイトで公開している導入事例です。
同じページでは、熱源・空調製品を製造・販売する企業の事例も紹介されており、導入後は月に200〜300件ほどの社内問い合わせをチャットボットが自動で処理できるようになったと報告されています。この企業では、総務・人事・経理といったスタッフ部門への社内問い合わせ業務の効率化が課題であると同時に、ボトムアップで進めたい生成AIの活用においてセキュリティやガバナンスをどう確保するかが懸念されていたとされています。
導入してすぐには効果が出ない、という限界
一方で、AIチャットボットは導入した初日から高い正答率を出せるわけではありません。クスリのアオキの事例でも、開始時点で登録されていたQ&Aは約300件にとどまり、75%という正答率や3,500時間の削減効果は、1年間の運用を経た実績として報告されているものです。立ち上げ直後から同じ効果が出ていたわけではないと見るのが自然です。
チャットボットの回答精度は、学習データとなるFAQの量と質に左右されるため、運用しながら段階的に精度を引き上げていくものとされています。チャットボットサービス「sAI Chat」を提供するサイシードは自社ブログで、失敗の共通原因として「導入目的が明確でないまま導入すること」と「運用改善を怠ったこと」を挙げ、一般的なAIチャットボットでは「導入後しばらくの期間、会話の回答精度を上げるための学習が必要」だと解説しています(出典:sAI Chatブログ「チャットボットの失敗事例を5つ紹介!運用上の課題にはどんなものがある?」https://saichat.jp/chatbot/failure-case/)。ただしこれは自社製品を「導入時から賢い」と位置づけるベンダーの記事であり、中立的な調査ではない点は割り引いて読む必要があります。
つまり、AIチャットボットは「導入すれば即座に問い合わせが減る」ものではなく、FAQを継続的に育てる運用体制とセットで初めて効果が出る仕組みだといえます。また、複雑な問い合わせや個別事情が絡むケースは、AIだけでは対応しきれず、最終的に人へのエスカレーション(引き継ぎ)が必要になる場面も残ります。
何が変わり、何が変わらなかったか
公表されている事例を整理すると、変わったのはおもに「単純な繰り返し質問への一次対応にかかる時間」です。クスリのアオキでは労務課の担当者が同じ説明を繰り返す時間が減り、RICOHの事例でもヘルプデスク担当者の対応件数が圧縮されたと報告されています。
一方で変わらなかった、あるいは新たに必要になったのは「FAQを作り、更新し続ける運用の手間」です。チャットボットの精度は導入時点で完成するものではなく、実際に寄せられた質問と回答のずれを継続的に埋めていく作業が前提になっています。この運用コストを見込まずに導入すると、効果が出る前に「使えない」と判断されてしまうリスクがあります。
では自社では何から始めるか
まずは、社内外を問わず「同じ質問が繰り返し届いている窓口」を1つ特定し、そこに寄せられた過去の質問と回答を一覧化することから始めるのが現実的です。クスリのアオキの事例のように、最初のFAQ登録件数は数百件程度からで十分で、そこから実際の問い合わせとのずれを見ながら追加・修正していく前提で計画を立てると、期待値のずれが小さくなります。
また、ここで挙げた事例がいずれも社内向けの問い合わせ窓口であるように、まず社内のヘルプデスクから始めて効果を確認するという進め方も選択肢のひとつです。社内向けであれば運用の失敗が顧客体験に直結しにくく、FAQの精度を育てる練習の場としても位置づけやすいという利点があります。効果が数字として表れるまでには一定の運用期間がかかることを見込んだうえで、まずは1つの窓口で小さく試してみる進め方が妥当ではないでしょうか。