「経理をAI化する」という言葉には、少なくとも二つの違う話が混ざっています。一つは、領収書の読み取りや経費の仕分けといった、ルールが決まっている定型作業をAI-OCR(画像から文字を読み取り自動でデータ化する技術)で自動化する話。もう一つは、ChatGPTやClaudeのような生成AIに、決算書の要約や税務相談への回答といった、判断を伴う仕事を手伝わせる話です。前者はすでに数字で効果を語れる段階に入っていますが、後者はまだ「人間が確認する」という前提を外せない段階にあります。この記事では、公表されている事例をもとに、この二つを分けて見ていきます。
定型作業の自動化 — 花王グループの事例
もっとも具体的な数字が公表されているのが、経費精算の自動化です。花王グループの花王ビューティブランズカウンセリング株式会社は2021年4月、AI経費精算ソリューション「SAPPHIRE」(Miletos社提供)を導入し、化粧品売り場で働く美容部員約6,000人の通勤費・交通費精算を自動化しました。発表によると、1年あたりおよそ5万5千時間の業務時間の削減、金額にしておよそ1.5億円の削減を予定しているとされています(出典:Miletos株式会社プレスリリース、https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000017.000028822.html)。なお、これは導入時点での見込み額として発表されたものであり、実績値として検証された数字ではありません。
このシステムは、勤務情報や入退館情報などから移動経路をAIが予測し、出退勤に伴う移動は「通勤費」、規定距離内での客先や拠点間の移動などは「交通費」として、税制や規定上のルールにもとづく会計仕訳を自動生成し、基幹システムに連携するという仕組みです。ポイントは、AIが判断しているのが「この移動は通勤か交通か」という、あらかじめ税務・規程のルールが決まっている分類作業だという点です。仕訳の是非そのものを一から考えているわけではなく、ルールに基づく振り分けを人の手を介さず行っている、という理解が実態に近いと考えられます。同リリースでは利用者の声として「月1回申請するだけなので入力の手間が大幅に軽減した」という点が紹介されています。
請求書処理の効率化
請求書処理の分野でも、AI-OCRとクラウドサービスを組み合わせた自動化が広がっています。経費精算サービスを提供するTOKIUMは自社コラムの中で、導入事例としてENEOSトレーディングのケースを挙げ、毎月およそ3,000行にのぼる請求書明細をデータ化し、月200時間かかっていた手作業をゼロにしたと紹介しています(出典:TOKIUM、https://www.keihi.com/column/4602/)。ただしこれはサービス提供元が自社サイトで公開している導入事例であり、独立した第三者による検証結果ではありません。自社の請求書の書式のばらつきや取引先数によって、実際の削減幅は変わってくる点には留意が必要です。書式が統一されていない紙の請求書が多い企業ほど、AI-OCRの読み取り精度が下がりやすく、結局は人による確認・修正の手間が残るという声もあります。
生成AIの限界 — ハルシネーションという固有のリスク
一方、判断を伴う領域では話が変わってきます。PwC Japanグループは、生成AIの経理財務業務への活用に関するコラムの中で、生成AIには「事実と異なる情報をもっともらしく出力する」ハルシネーション(AIが事実でないことをそれらしく生成してしまう現象)というリスクがあり、情報開示や法的要件に関わる申告書作成のプロセスでは、この問題への対処が必要になると指摘しています(出典:PwC Japanグループ、https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/column/finance-transformation/data-driven/generative-ai.html)。
これは経理という業務の性質上、他の部門よりも重く効いてくる問題です。マーケティング文章の下書きであれば多少の誤りは後工程で直せますが、経理では「実在しない法令を根拠にした回答」や「誤った仕訳の提案」がそのまま決算や申告に反映されてしまうと、訂正のコストは書類の作り直しだけでは済みません。このため、生成AIが作成した仕訳データやレポートは、人間の担当者が最終確認するプロセスを業務フローに組み込むことが前提になります。AIを「代わりに判断してくれる存在」ではなく「下書きを作る賢いアシスタント」と位置づけ、出力を鵜呑みにしない運用が必要だという指摘は、複数の専門家コラムで共通しています。
「自動化できる部分」と「人が見る部分」の線引き
ここまでの事例を整理すると、経理AI化がうまくいっている領域には共通点があります。それは「判断基準がすでに明文化されているルーティン作業」だということです。通勤費と交通費の振り分け、請求書の項目のデータ化、仕訳伝票の起票といった作業は、ルールさえ整理されていればAIに任せやすく、実際に時間削減の数字も出やすい領域です。
逆に、税務判断や決算方針、取引の実質的な妥当性の判断といった、状況に応じて解釈が変わる仕事は、現時点では人の確認を外せない領域として残っています。経理担当者が一人しかいないような中小企業では、この線引きを曖昧にしたまま「AIに経理を任せる」と考えてしまうと、誤った仕訳がそのまま決算書に反映されるリスクを見落とすことになりかねません。AI-OCRやクラウド会計ソフトのベンダーの多くが、AIの読み取り結果を人が確認する工程を残した運用を前提にしているのも、この線引きが業界としても共通認識になっているためだと考えられます。
では自社では何から始めるか
経理AI化を検討する場合、いきなり生成AIに判断業務を任せるのではなく、まずは花王の事例のように「ルールがすでに明文化されている定型作業」から着手するという選択肢が現実的です。具体的には、経費精算の仕分けルールや請求書処理のフローを一度棚卸しし、AI-OCRやクラウド経費精算サービスで自動化できる部分とできない部分を切り分けることから始められます。
もう一つの選択肢として、生成AIを本格的な業務フローに組み込む前に、まずは仕訳の下書き作成や決算資料の要約といった補助的な用途で試し、担当者が内容を確認する運用を数か月続けてみる、という段階的な進め方も考えられます。どちらの場合も、削減できた時間を数字で記録しておくことが、次の投資判断の材料になります。